地域に伝わる伝統芸能を受け継ぐために、研鑽と地道な努力を重ねている若者の団体に贈られます。
演目名:三社祭礼囃子
江戸時代の享保年間、城主西尾隠岐守忠尚公の参勤交代の折りに横須賀へ伝わり、歴代の名手が研鑽を重ねて、稀代の名調子となった祭り囃子です。
県無形文化財第一号に指定され、毎年4月、遠州横須賀三熊野神社大祭にて曳き廻される祢里(横須賀地区では山車・屋台のことを示す)の上で奏でられます。
「昇殿」「鎌倉」「四丁目」「大間」「屋台下」「馬鹿囃子」の6曲があり、特一本調子の篠笛、二丁掛けの締太鼓、一尺五寸長胴の高張り大太鼓、摺り鉦で奏します。手古舞と呼ばれる「火吹男」「岡目」「般若」の面を付けた踊り手が舞い、火消し装束を身に付けた曳き手が囃子方となって盛り上げます。
今も横須賀をはじめ、遠州各地の祭りを盛り上げている名調子の祭り囃子です。
「大間」の曲
祢里を曳き廻す時に用いる曲で、祭典期間中、最も囃される道中囃子です。
この舞台では、火吹男の舞に焦点を当て、3年間の集大成として踊り上げています。また、後半は調子に合わせながら異なるタイプの火吹男二人が登場します。
「昇殿」の曲
役太鼓、儀礼太鼓の曲として神前や町会所に奉納する曲の一つで、一説によると神様が降臨するとされています。
この舞台では、二人の火吹男がキレよく、揃いの舞を演じるところが見所です。
「鎌倉」の曲
役太鼓、儀礼太鼓の曲として神前や町会所に奉納する曲の一つで、一説によると降臨した神様が留まるとされています。
この舞台では、岡目が洗練された舞を披露するところが見所です。
「四丁目」の曲
役太鼓、儀礼太鼓の曲としての説や、この曲に続く道中囃子「大間」の前囃子とする説もあります。
今回の舞台では基本を押さえながらも、滑稽さを加味し、踊りの途中で足を踏み、喧嘩のきっかけを表現しています。
「大間」の曲
先述の曲ですが、江戸火消し半纏の流れを汲む祭り装束を身にまとい、白足袋はだしの囃子方と呼ぶ集団が提灯を振りながら、威勢よく舞台を盛り上げます。
この舞台では、囃子方が中央を取り合う二人の火吹男の喧嘩をあおる効果も表現しています。
「屋台下」の曲
道中囃子の一つで、テンポが速いことが特徴です。祢里の巡行を急ぐ時や曳き手を盛り上げる時に囃します。
この舞台では、岡目が登場し、舞台の喧騒を鎮めつつ、同時に囃子方を鼓舞します。
「馬鹿囃子」の曲
道中囃子の一つで、一昔前は喧嘩の時に囃されたといわれています。今では、神社に練り込む時や千秋楽等、最も盛り上がる場面で囃されます。
この舞台では、二人の般若が圧巻の舞を披露し、囃子方、鳴り物が一体となって、最高潮の舞台を表現します。
掛川市は日本のほぼ中央に位置し、市の北部には市内最高峰である八高山を中心とした山地、中央には小笠山丘陵があり、南は遠州灘を望むことができるなど、自然環境に恵まれています。市内には掛川城跡、高天神城跡、横須賀城跡の3つの城跡があり、掛川城周辺には大日本報徳社をはじめとする古い建物も残され、歴史が残るまちです。また、遠州に春を告げる三熊野神社大祭をはじめとする伝統ある祭文化が残る一方で、横須賀城下の町並みを活かした「ちっちゃな文化展」や「かけがわ茶エンナーレ」などの文化イベントも開催されています。
市内には東海道新幹線、東海道本線、国道1号線、東名・新東名高速道路などが東西に横断し、交通の便も良く、自然、歴史、文化のどこをとっても見所満載の市です。
横須賀凧
深蒸し掛川茶
葛布織り風景
凧揚げ(横須賀凧)